伝えることの話。(■Link)
-2014年6月27日 23:36更新

前回、震災の話題をした際に、とあるコメントがついたという話をしました。
そのユーザーさんはアカウントが無くなったのか、コメントも閉じられており、見ることはできませんでした。
ただ、その次のnoteの記事にまとめてあったのでそこからアーカイブを引っ張ってきました。

コメントを頂いたのはボランティア精神をお持ちの方へ(Tさん)のnoteがきかっけでした。「震災のお話については当事者なので、コメントを控えさせて頂きます。」と一言。そしてその後に、そのTさんはnoteを更新されていました。
【僕は正直「被災者」などという差別用語を、軽蔑する者である。そんな言葉を堂々と報道する人間が使っていいわけがない。】

自分は当時、地震のnoteの中で「被災地」というキーワードを使ってしまっていた。正直、その言葉が一番伝わりやすい単語だったから。
ただ、東北の当事者にとって、「被災」という言葉が「嫌悪」に繋がる言葉であったわけで、寄り添えていなかったのです。
【現場を見ないと報道できない、と言っていたジャーナリストは、それで本当のことを伝えたのか。】

自分の中では「自分の目であれを実際に見て体験してみないと、しゃべり手として想いは伝えられない」という記述を残しています。
それは自分が北海道という地に住んでいて、東北の情報が入ってこないからで、確かに東北へたくさんのメディアが当時に訪れていました。15年が経過した今でもそうだと思います。
今、毎日を生活している中で、一日何回東北の話題を耳にするでしょうか。目にするでしょうか。あれから15年経過して、東北に足を運んだことは?

当時、テレビや報道を見て、日本中が「東北の人たちに何かしてあげなきゃ」と思った人が沢山居たと思います。
実際にボランティアで現地に入った人、救援物資を届けようと物資を集めた人、基金に寄付をした人。
中には新品ではなく、使い古した衣類や、賞味期限が切れた食品を送った人も少なくないと聞きました。
善意の為に、千羽鶴を子供達に折らせて、「がんばってください」などの寄せ書きをしたためたなんて話は沢山聞いた。
「何かしてあげなきゃ」
それが、「他人事」なんだと気付いたわけです。

使い古した衣類は正直発展途上国で衣類を買うお金がない人たちの為に「善意」で集めて送られるものが多い。
東北の人たちは突如として日常が激変した人が多く、常に貧しくて生活もギリギリというわけではない。
家が無くなっても、元の生活に戻ろうとして色々やっているわけで、生活水準を下げて生き延びる事が目標ではない。
普通の生活に戻るために物資が必要なわけです。
おむつや生理用品、日常生活を送る上で清潔な救援物資が劇的に足りていませんでした。
もちろん、飲食物も。賞味期限が切れた物資は行政も配ることが出来ず、避難所の限られたスペースを逼迫していきます。
捨てると言うことも、リソースが必要になります。人も炉も。
同じく、千羽鶴や寄せ書きも当事者からすれば、飾る場所もなく、「善意」というきれいな言葉がつまった「塊」にしかなりません。
【なぁ、遺された者は、どうすりゃいいんだよ。】
【誰か、答えを知っているなら、言ってみろや。】

綺麗事だけで解決できる問題ではないわけです。
津波を生き延び、日常生活に戻らなければいけなくなった人たち。
そんな人たちにどんな言葉を伝えたら解決するのか。
「がんばって」なんて軽々しくも言えません。「応援してます」という言葉をもらい、何になるのか。傷ついた人たちは「綺麗事」だけでは解決できないのです。

当時、放送局で仕事をしていたときのことです。
数多くの「募金」「義援金」「救援物資」の募集の話題を毎日のように伝えていました。中には「自分には歌うことしか出来ないから」と「コンサート」を開き、お金を集めるといったイベントの開催告知も。時には「応援歌を作ったから流して欲しい」なんて声もありました。
その言葉にはどれだけ東北の人たちを思う声が、心がこもっていただろうか。
そう思ったからこそ、東北出張で地元の人の声を取材し、北海道の人たちに伝えたいと思ったから、「自分でその現場を見ないと」っていう思いが生まれたわけです。

前回のnoteの内容には書かなかったけど、生々しい体験談、訴え、反省、怒り、悩みなどなど沢山聴いてきました。
YouTubeなどで切り取り記事や動画の話題が出てくる度に、正確に伝えることの難しさを日々認識します。
自分が見てきた東北の姿は震災から2年後の「今」でしたが、それでも断片的なものでしかありません。全てのことを知ることはできないから。
以前ゲームデザイナーのヨコオタロウさんが言っていた言葉がありました。
「観測できるのは自分が見て、体験しているものが全て。世界中で同じ時間に起きていること全てを把握することは出来ない。」
それでも知りたいのが人間であり、業であるのかも知れません。

実は自分には東北とは繋がりがあり、母方の本家が岩手県の北上にある。
東北に住む友人も少なくない。だからこそ、身近に感じるんだと思います。
見聞きしたことを正確に、人を傷つけることなく伝える事の難しさ。
辛い経験をした人は思い出したくない事がいっぱいあります。
そして、それを無理に思い出させることはできません。
でも、これだけ大きな死者・行方不明者を出した災害であることは忘れてはいけないことだと思います。(まだ見つからない人、PTSDに悩む人はいっぱいいます。)
それを後生に伝えていかなければ、また同じ事が起きたときに生かすことが出来ません。
人は嫌なことを忘れていくことで先に進んでいきます。

後志管内古平町で起きた「豊浜トンネル崩落事故」から今年で30年が経過しました。
テレビから流れてくる映像はショッキングで、大きな岩塊に爆薬を仕込んで破壊する様子は学生の自分にはもどかしく、今すぐにでも現地に行って、なんとか出来ないかと親に伝えました。
もちろん現地に行けるはずはなく、現場ではああすることしかできなかったんですよね。岩塊がトンネルに落下した時点で生存者は皆無だったと思います。
もしかしたら、直撃を免れて最後の灯火でかろうじて生きていた人がいたのかもしれません。
でも、当時の現場では最善の判断であり、助け出そうとしていた人たちが現場に沢山居たはずです。
震災でも津波にのまれた人たちの中にはかすかに生きていた人がいたかもしれません。でも、道路にはがれきが残り、二次被害がいつ発生するかわからない状況で、最善の判断がされたはずです。
原発事故も被害を拡大させないために現場の判断が被害を最小限にしてくれたのだと思います。
全ての事柄を把握することは一人の人間には非力で出来ることは限られます。
その中で冷静に取捨選択をするのは心苦しいですよね。
じゃあ何もしないのがいいのか。それも違っている気がします。

