CDタイトル:小森まなみ 40th Anniversary ファイナルベストアルバム JEWEL
発売日:2024年2月21日
品番:KICS-4136~9
自分が小学校高学年の頃。
自分の部屋を持つようになり、ゲームも取っても小さなテレビで遊び始め。
そんなときに出会ったのが「ラジオ」でした。
基本はSTVやHBCのラジオを熱中して聴いていました。
「ベストテン北海道」「うまいっしょクラブ」「アタックヤング」。
「スーパーカウントダウン50」「C2スクエア」…。
そして深夜のお楽しみ「オールナイトニッポン」。
そんな中で出会ったのがSTVで放送されていた「mamiのRADIかるコミュニケーション」。
謎の男性ミンキーヤスさんと、トークジョッキーの小森まなみさん。
深夜に癒やされる可愛らしい声でありながら、一つ芯の通ったド直球のトークを繰り広げる。
夢中になって聴き続けた番組の一つです。
その小森まなみさんがこの2024年春をもって「マイクオフ」、つまり引退を決意したそうです。
1995年1月17日火曜日。
RADIコミを放送している東海ラジオの放送エリアのお隣で阪神淡路大震災が発生します。
当時RADIコミの放送日は日曜日。
あの甚大な被害をもたらした地震のあと、放送が始まりました。
そこにはいつもの元気な声では無く、ラジオがどうしたらこの一大事に役に立てるのか。
それを伝える小森まなみさんの姿がありました。
当時、震災義援金を集めるために、まだ若いリスナーが多い番組では「お金」ではなく「未使用テレホンカード」を番組で募集して、それを番組が換金して義援金として届けるという試みをはじめました。
自分も中学生だった当時お金など無く、テレカを周りから集めて番組に送る活動を始めました。
今考えたら、ラジオと繋がることで全国のラジオの前のリスナーと繋がる気持ちが芽生えた瞬間だったと思います。
「ラジオの仕事がしたい」
小学生の幼い頃に一つの夢を持ち始め、普通では聞こえない遠隔地のラジオ局を聴くようにもなりました。
「文化放送」「ニッポン放送」「TBSラジオ」。
Radikoなんて便利なものが無い頃。目一杯にアンテナを伸ばし、自分がアンテナになり、どこの位置が一番雑音が少ないか、試行錯誤をしながら深夜にラジオに浸っていました。
もちろん、番組にハガキを書いたことも数知れず。
そんな小森まなみさんがいつも言っていた夢の方程式がありました。
「夢+努力=現実」
夢に向かって一生懸命努力をすれば、それは現実になる。
「ラジオの仕事がしたい」という夢は、高校生になりより強くなり、進路のことを担任の先生に話すときに「そんな簡単な道じゃない」ことを伝えられた上で、その道に進むための手助けをしてくれました。
東京に進学する度胸の無い自分は、札幌のラジオの専門学校を見つけ、そこに進学します。
2000年3月。専門学校を卒業し、一旦テレビ局のADへの道を進めます。
そんなとき、テレビ局内で「有珠山噴火」を経験します。
有珠山噴火で臨時災害放送局が誕生します。
被災地域の情報を伝える手段として、阪神淡路大震災で生まれることになった臨時災害放送局というシステム。
ひとりの小学生の夢は小森まなみさんを継いで「ラジオの仕事がしたい」と言う夢になり、有珠山噴火を経験して「次の有珠山噴火に向けて地元にラジオ局を作りたい」に発展し、その夢は隣町のコミュニティラジオ局に就職することで、先に進み、「地元にラジオ局を作りたい」という夢は2015年、現実のものとなりました。
ラジオから発せられる声とその影で支えているスタッフの人たちによる力。
それを強く感じたのが小森まなみさんでした。
当時、ディスクジョッキー(DJ)はレコードやCDを回しながらラジオでしゃべる人たちの総称として知名度を持っていました。小林克也さんなどはその主たるものでしょうか。
そんな中、自らをトークジョッキー(TJ)と名乗り、トークに重きを置き、リスナーたちの思い、自らの思いを発信し続けた小森まなみさん。
そんな彼女が2024年春にマイクオフ、マイクの前のカフを下ろしてトークジョッキーから身を引くことを選んだ。
デビューから40年。この春にリリースしたベストアルバムにはそんな彼女の最期のトークが納められています。
2011年に体調不良から声を発することから離れ、表舞台に出ることはほとんど無くなっていたそうです。そして、声で発信できる限界を感じた今、マイクオフを選び、リスナーが耳に覚えているあの声が聞こえているうちに身を引くことを選ぶ。
実は、このアルバムを手にしたのですが、トークパートは未だに聴けずにいます。
何だかこの気持ちまで終わっちゃう気がして、聴けて居ないんです。
全ての思いが詰まって居るであろうトークパート。
いつ聴こうかと大事にCDを抱える日が続いています。
地元にコミュニティラジオ局を。
次の噴火が差し迫る今、その目的は、夢は叶いました。
自分は脳梗塞で片耳の聴力を失い、饒舌では無かったものの、滑舌の悪い声になり。
ラジオの仕事をしたいという夢からは身を引きました。
もちろん、ラジオの仕事はしゃべる仕事だけではありません。
次の目標を見失った今こそ、本当は小森まなみさんの声で勇気づけられる時なのかもしれませんが、そのときはいつ来るのかなと自問自答してる気もします。
自分の人生に多大な影響を与えてくれた小森まなみさん。
本当におつかれさまでした。いつまでもお元気でいて下さいね。